スポーツのココロ 第15回

古橋廣之進さんとスポーツ博物館

 

 

 

 この8月2日、世界水泳選手権大会のためにローマを訪れていた古橋廣之進さんが、滞在中のホテルで亡くなられたことは記憶に新しいことだと思います。わたしなどからみると、古橋さんは神話中の人物に近いほどの方で、80歳というと、意外と若かったのだなという思いを禁じえませんでした。しかし、そうしたご高齢にもかかわらず、最後まで現役として、若々しい情熱でスポーツの指導的な仕事を続けられていたことには、頭が下がる思いです。

飛込みの様子

 終戦直後から何度も当時の世界記録を塗り替えたこと。全米選手権大会に参加するために渡米した当時、反日感情の強かったアメリカでも、そのみごとな泳ぎにより「フジヤマのトビウオ」とたたえられたこと。好敵手橋爪四郎選手とともに、日本の水泳の黄金時代を築いたこと。選手としての最盛期であった1948年のロンドン五輪には日本が参加を許されず、1952年のヘルシンキ五輪では病気の後遺症から良い成績を出せなかったこと。現役引退後は母校の日大に迎えられる一方、日本水泳連盟会長や日本オリンピック委員会会長などもつとめられ、わが国の水泳の発展に一生を捧げられたこと。その功が認められて、昨年スポーツ界で初めての文化勲章受章者となられたこと……。こうしたことは、みなさんも新聞などですでに目にされておられるでしょうし、詳しく書いていくと連載の評伝が必要になってしまいます。ここで、あらためてネットで得られる程度の知識を披歴するまでもないでしょう。

そこで、今回はスポーツ博物館のもっている古橋さんの資料を見ていくことにしましょう。

古橋さんの胸像

 まず、もっとも目につくものは、おそらく読売新聞社主催の「日本スポーツ賞」第1回受賞時(1951年)の記念に作られた胸像でしょう。戦後のスポーツを紹介するコーナーに、スポーツの復興を象徴するようなかたちで、第2回受賞の石井庄八さん、第3回受賞の山田敬蔵さんの胸像と並んで展示されています。
(ちなみに山田敬蔵さんは、この7月に81歳で「フルマラソンからの引退」を表明されたばかりです。それから、昨年度の「日本スポーツ賞」の受賞者は、水泳の北島康介さんです。)

海外遠征のケース

 その右にあるケースには、世界記録認定証をはじめ、古橋さんが海外遠征で獲得したいくつかのトロフィーが見られます。また、その反対側のケースには第3回国民体育大会の表彰状も飾られています。

国対賞状写真

 古橋さんのスポーツ界に対する功績は、こうした若いころの活躍を記す資料のみで語りつくせるものではありませんが、スポーツ博物館にもこうした資料があることをお知らせしながら、古橋さんのご冥福をお祈りしたいと思います。

 ということで、スポーツ博物館の思いもかけないお宝を探すために、よい子も、お父さん、お母さんも、こぞって探検に来るのココロだぁ!